GO

言わずと知れた、在日さんをテーマとした物語ですね。
窪塚洋介くんが主演して、映画化もされていますね。
だから、私がこの本を手に取ったのは、映画化の後ということになります。
映画の方は、深夜だったかな、テレビでやっているのをちらっと見たことがありました。
窪塚洋介ふんする、杉原少年が親父さんに、警察署でたこ殴りにされて、そのあと釈放された。
っていう、場面が強烈でした。
その後は、どんな理由だったか忘れましたが、見ませんでした。
だから、物語的に言えば、すらっと読み進められたかな、といったところです。
まぁ、出てくる杉原家は、映画の俳優さんのお顔が出てきましたけど。


私が、小説読むとき、大体想像する登場人物は2次絵なんで、ちょっと戸惑い気味に読み始める訳ですよ。
んで、当然TVでは見なかった、登場人物が出てくるわけですから、その登場人物達が2次絵で出てきちゃったり、うわー、こりゃ変な世界だー、ってなっちゃいました。
がんばって、3次元にしたり、でもそれが、少し楽しかったりして。
でも、今考えてみると、背景はほとんど2次絵でしたorz


在日というハンデ。
彼は、ハンデとは思っていなかったようですが、それはそれで、頭の奥底には在日だというハンデを背負っていたみたいですし。
コンプレックスというものがあります。


私は、チビですが、それをハンデと思ったことはありません。
いや、思いたくなかったんでしょう、それがコンプレックスです。
小学生の時から、背の順は一番前のほう。
中学校、高校と名前順ですごしましたが、やはり背は小さいまま。
コンプレックスを持たないほうがおかしい。
それを、認めようとした時もあったし、拒絶したこともあった。
でも、それが今一番自分を奮い立たせてる物なんじゃないかな、と思うのです。


だから、この在日くんは在日というコンプレックスが無かったら、ここまで偉大な(カッコイイといったほうがいいかもしれません。)主人公には、ならなかったんじゃないかな、と思います。


私もチビじゃなかったら、ここまで色々な事を学べたか、考えることをしたか、悩んだか。
きっと、そこら中にいる大学生になって、バイトにいそしんで、のほほんとしていたんじゃないかな、とか思います。
まぁ、そんな理不尽な事を言ったって、ただの思い上がりでしょう。
っていうか、そうです。


でも、在日というコンプレックスはチビなんかに比べたら、大きなウェイトを閉めるんじゃないかなと、思います。
彼のように、繊細で、だけど強くてっていう主人公は、そうした、コンプレックスの塊みたいな人じゃないと、やってけないと、そう思います。


時々、そんなコンプレックスや、障害を持った人に憧れることがあります。
なんだか、別の世界を進んでいるようでね。
こう釈然としないまま、時間だけが過ぎていって、漠然と敷かれたレールがあって、呆然とそのレールに乗っちゃって、ゴーって川の流れのように流れていって、普通過ぎてつまらないって思うときがあるんです。
そういうとき、どこかしら特別な人たちに憧れるんですね。
ああ、俺も特別になりてーって。
こんな、平凡な生活つまらねーって。


だから、小説を読むのが好きなのかな。
大抵、小説の主人公は特別な存在で、普通の人とはまったく違った、道を歩いていて、それがとてつもく、かっこよくって。
憧れちゃう。
それを、ちょっと疑似体験出来るんだもん。
自分自身が、小説好きになるのも私自身で頷けるなってね。


そんな、憧れてしまった一人が、この杉原くん。
いいなぁ、在日・・・。


ええ、一言断っておきますが、決して差別をしているということではありません。
差別は大ッ嫌いですし、絶対に許せません。
いじめなんて以ての外です。
この物語を読みながら、差別をする人間達に殺意すら覚えました。
人間って嫌な、生き物だなって改めて思いましたし、日本がこれほどまで、外国人に対する差別社会だということを知り、日本が少し嫌いにもなりました。
物語中でも、主人公の杉原くんは、在日という言葉が差別用語として語っているように、在日という言葉は差別用語だと、私も認識しています。
では、なぜ「いいなぁ、在日・・・。」なんて書くのでしょう?


それは、簡単なことです。
私は、至って普通な人だから。
そして、弱いから。
何にも、考えていないからです。
あんちょくな気持ちです。
だから、そんな言葉に意味なんてありません。
差別だと、思ってしまうのは、感じた側。
それでも、そんな軽々しく言うんじゃないと、言うのなら、それは気にしすぎです。
こんな、馬鹿な奴を相手にしたって何も出ませんよと。